ふたたび 葉月のこと    


1日
(土) 昨日からミンミン蝉が鳴き出した。異常気象で竜巻がおきたり、宇宙ステーションからロケットが帰ってきたりと、なにかと忙しい地球だけれど、8月の声とともに蝉が鳴き出すのを聞いて、なんだかほっとした気分を味わっている。
 昨日からすこし温度が下がって、朝のうちはひと心地を味わっていたのだけれど、午後になってからは、また暑さが戻ってきた。
 今日は旦那の病院外来に行って、このところ恒例の点滴を済ませ、今週もまた花の買い出しに行った。花も欲しかったけれど、旦那にしばしのドライブをさせてあげたかったのだ。
 先週買ってきたカランコエの花をもうすこし買い足そうと思ったのに、一週間の間に、店頭の花が全部入れ替わってしまっている。
 勢い込んで先週と違う花を買ってきたのはいいけれど、家に戻って考えたら、プランターの数が足りない。
暑さの中坂を下りるのが面倒で、結局一日中玄関先に放り出したまま、明日からの課題になってしまった。
 なんとなく気が重いのは、今日の血液検査の結果、ヘモグロビンの値が低くて、来週の検査でもっと下がるようだったら、輸血のため入院、と言われたことが頭にのしかかっているため。
 今日は先生は決然!といった感じで一歩たりとも譲らない積りらしい。
 病院から帰って領収書を見直したら、今日から1割負担になったのに3割の計算になっている。道理で高いと思った。
 お使いのついでに病院に寄って会計の窓口に行ったけれど、土曜日の夕方で、もう受付は終わっていた。
 この間はリハビリの代金が抜けていて、電話がすぐ掛かってきて、すぐに支払いに行ったのに、取りすぎた分は電話がないのがなんとも釈然としない。一人残っていた人に声を掛けて話をしたら、この次に来る時にお返しします、という。
 つまり1週間先。私は月曜日でもいいのにな、とちらっと思ったけれど、「ハイ」と帰ってきた。
 夜になって旦那は38度3分の発熱。声を掛けるとうるさそうにするので、頭だけ冷やして、今夜は薬も飲ませない。

2日(日)夕べの12時から朝まで、旦那ちゃんは高熱が続いた。一晩中冷やしていたので、私は寝不足…というより、殆んど寝ていない。
 朝になって彼はトイレに立とうとして、目が回って倒れ、机に胸をぶつけた。なるほど、貧血だわと、変なところで納得。幸い骨には異常がないらしいので、メンソレラブをべたべたと塗りたくった。
 日曜日で息子が来てくれていたので、事なきを得たけれど、平日で私一人だったらお手上げだ。
 朝ごはんはいらないというので、様子を見ていたら、お昼過ぎになってやっと37度台に下がって、パンとスープを口に入れた。
 こういうことを何回も繰り返すので、発熱に関して私は慣れっこになっているけれど、本人にしてみれば、我慢の限界というところらしく訪問診療の往診をお願いして、という。
 訪問診療の病院に電話を入れたら、暫くして、院長先生がカジュアルスタイルで来て下さった。
 薬箱の中の抗菌剤を指示されて、「大丈夫」、と手を握って(私のじゃない、だんなの)くださっただけで、本人はちょっぴり元気を取り戻した。
 折角のお休みなのに申し訳なく思う。院長先生は40代のピカピカ。
 夕方になって自由が丘の街に降りたら、人が異常に多い。そういえば駅前のロータリーの盆踊りだった。
 カクマツさんの所に遊びに行って、片っぱしから買わない服を試着して遊んできたので、夕べからのストレスは消え飛んだ。
 買ったまま放りっぱなしにしている赤とピンクの日日草が、待ちくたびれて壁に寄りかかるようにひと固まり。
 早く植えてよ、と言ってるみたい。明日はやらなきゃ。

3日(月)今日はデイホームはお休み。先週行ったら、「来週は月曜日ならやる、といった音楽の先生が来るので、午前中にするか、来ないかどちらかにして」と言われた。
 一瞬それってあり?と思ったけれど、「どちらかにしてというなら、来ません」、と断固宣言。
 7年来ずっと、月曜日の午後はデイホームの歌の日、とこちらは決めて、襲い来る辺りの雑事をけ散らかしても行くということにしているのだから……。
 でも言いたいことはあっても、飲みこむ。
 最近こういった言葉の足りなさによく出会う。
 まあ、旦那のことを考えたら、行かないで済んでよかったかな?
それにしても、もうすこし違った言い方が出来ないのかしら?
 旦那の体温は乱高下している。今朝からホテルのルームサービスもどきに、ベッドの脇のテーブルに食事を並べて仲良く向き合って食べている。
 看護師のYさんが来てくれて、旦那に、「奥様の言うことを聞いて、看護がしやすいようにしてあげて」、と懇々とさとしてくださった。
 こういう時は旦那は素直で、「はい、わかりました」、と神妙に答えていておかしい。すぐ忘れて攻撃の矢を向けるくせに。
 病院の院長先生から電話で、「抗菌剤を出しましたから、調剤薬局に取りに行ってください」、とのこと。
 早速行って、その足で一回り町を歩き、ついでに昨日目をつけた服を買おうと決心、カクマツさんの所に行く。
 坂を歩いていたら電話が鳴って、また病院から明日臨時の往診をさせてください、という有難いお申し出だった。
 大急ぎで帰って、ミツコさんにメール、明日のユトリーバのメンバーの皆様に集合場所を息子の家にする連絡を依頼。
 後半がやけに忙しい日だった。また花を植え損なったなあ。

4日(火)今月からしばらくの間ユトリーバを火曜日に変更していただく。水曜日が先生の往診とダブったためだけれど、今日は追いかけるように臨時の往診となる。
 そのうえ、先生の指示でベッドのマットレスが柔らかいものに変わることになり、朝9時半に、業者さんとケアマネージャーのユイさんが来る。
 それが終わって11時半に往診、ユトリーバのメンバーが集まりだす時間と重なって、一日分の働きを短時間でこなすことになった。
 2軒の家を何度も往復。一つ一つをこなしながら、ユトリーバもたっぷりと遊ばせて頂く。
 今日は重大なポカをひとつ。思い出す度に顔から火が出る。夕方先生から出された処方箋の薬をノリコが取りに行ってくれたのだけれど、その際昨日電話で指示された薬のことと頭が錯綜してしまい、処方箋はないと思いこんでしまった。
 結果的に、病院から再度ファックスで送っていただき、30分掛かって出してもらってきたという。
 そこで、家で大事に保管してある処方箋のことを思い出し、はっと間違いに気づいた。こういうときの心境は「ナンタルチ〜ア!」
 明日はあちこちに電話やら足やらで謝らなくては……。あ〜あ、用事が増えちまった。
 夕方になって、看護師のKさんが、買ってきたクッションを届けに来て下さる。彼女はとても良い人だけれど、言葉がきついので、ときどき叱られた気持ちになりどきっとする。
 良いこととわる〜いことがたっぷりある一日だった。

5日(水)朝から、昨日以来ブルーになった気分をピンク色に変えるための活動に入る。まず病院に電話、昨日の処方箋の再発行のことをお詫びしたけれど、話が伝わっていなかったらしく、何のことでしょう?と聞き直され、もう一回説明に汗をかく。
 9時になったので今度は調剤薬局に、棚に置き忘れてあった処方箋を持って行ったら、「ああ、昨日のね」、と軽くあしらわれた。
きっとおばかなおばさん、と思っていたのだわ。
 10時に今度はアンスコのHさんが、月曜日のデイホームを断られたことの詳細を聞きに現れる。もし月曜日デイホームに行くならヘルパーさんを手配して貰わなければと思い、それに関連してこの間のことをケアマネさんに「どう思う?」と話したことが伝わってのこと。
 詳しいことを話した結果、デイホームを大切に思っている私の気持ちを理解していただけて、ほっとした。
 来週行ったら他の人が来ていたなんてことになったら、さまにならないものね。
 Hさんがお昼まで旦那の部屋に入って、話相手をしてくださり、旦那は大好きな彼女に来ていただいて、ご機嫌がいい。
 お昼過ぎにデイホームの所長さんからお詫びの電話。ちょっぴり意地悪になった私は、お断りならそれでもいいんです、とすねる。
 「いえいえ、来週もかならずいらしてください、皆でお待ちしています、これは全部私の躾の足りなさからきたことでして、恥ずかしいです」といわれて、けろっと気分が治った私もわがまま。
 来日中のミトラスクールのバルアさんから、ネパールのダージリンティーと美味しい焼き菓子が送られてきた。
 9月にカトマンドゥに帰られるまでにお会いする約束を兼ねて、お礼の電話を入れた。
 しばらく頭を離れていたミトラスクールのかわいい子たちのことを思い出し、行きたいな、と思う。
 夜には朝ブルーだった気持ちも虹色に変わってくれた。

6日(木)もしもしカメよ、かめさんよ、と心の中で歌いながら、「どうしてこんなに、あついのか」と声に出して歌ってみた。
 でも誰からも返事は返って来ず、声を出した分暑さが増したよう。
 考えてみたら私は昔から暑さに格別弱いのに、去年から旦那の看病で、そのことを忘れていた。
 この暑さに弱い体質故に、もうずっと前の義父の相続の時に、北軽井沢の家を長姉に渡した時は、心底夫を恨んだものだ。
 買い物帰りに坂をのぼりながら、そういえば1年前の今頃、このあたりで犬に咬まれたな、と思いだした。
 去年は夏の盛りの入院で、いちばん暑い時に涼しい大学病院に居て、さほど苦痛を感じなかったような気がする。
 それとも歳のせいかしら?一日に何回も喘ぎながら2階の階段で顎を出している。
 昨日すっかりしおたれてしまっていたインパチェンスの鉢植えは、慌てて水浸しにしてから、割り箸を10本ぐらいつっかえ棒にしておいたら、朝までに蘇生した。でも花が全部落ちてしまったので、ひとつづつ撫でて、もう一回咲いてね、とお願いする。
 効き届けてくれるかしらね?

7日(金)石川五右衛門の気持ちが理解できてしまうほどの暑い日が続いて、皆の思考力も音をたてて崩れているのかもしれない。
 駅の前の幅の細いガードレールの歩道を、皆のそのそと歩いている中、自転車がベルを鳴らして、わがもの顔に通り抜けていくのを、交番のお巡りさんは、ぼ〜っと見ていて、何も言わない。
 歩道の中は自転車は押して通りましょう、ってどうして決めないのかしら?
 調剤薬局に薬を取りに行ったら、要らなくなった筈の薬が出された。
 <あれ?先生気が変わったのかしら?>自信がないのでそのまま貰って帰ってきたら、夕方になって先生から「ごめんなさい、間違いに気づいて薬局に連絡したら、もう奥様がいらした後で」、と電話があった。
 実はこれ安定剤で、有って困るものではないのだ。いずれ、私が不眠症の夜に使えるもの。いっそ手間が省けたと言ったところ。
 台湾のあたりに台風8号とやらが居て、その余波の物凄い雨がひととき襲ってきた。おかげで庭に水を撒く手間が省けた。
 今日良かったことはこれだけ。

8日(土)このところテレビ番組がご馳走で埋めつくされている感じだけれど、人間っておかしいと思うのは食べることは美学みたいに扱いながら、排泄のことになると、何故か触れてはいけない汚点のようにして、避けて通ることだ。
 そりゃあ当然のことだとは思いながら、旦那が病いの世界にとっぷりと漬かっている今、私たち夫婦にとって、こんなにも重大なことってないのだ。
 毎日がこの分野の戦いといっても過言ではない。
 深夜2時、眠りに入って2時間という、私にとっては幽玄の世界に浸っている時間帯に起こされた。
お腹が張って苦しくて寝られない、という。そこから戦いの幕が切って落とされた。
 確かにきれいな世界ではないのだから、思い出して反芻するのもうっとうしい話だけれど、戦いが始まって30分後に、私はうんちまみれになった。
 お腹の張りが楽になった旦那ちゃんは、間もなくすうすうと眠りの世界に戻って行ったけれど、後始末ですっかり目が覚めてしまった私は、うっすらと空が白くなるまで、本を読んで夜が明けるのを待った。
 長年の間にからみついたしがらみをさっぱりと取り払って、なんだか人間の原点にスイッチバックしてしまったみたいな今日この頃だけれど、こういう時間を与えてくださった神様には、本当に感謝している。
 今までで一番仲の好い夫婦関係を締結しているような気分。ストレスをためるのはよしとしないので、今日も街に降りて行って2時間ばかり遊んで歩いていたら、途中で旦那が、「どこにいるの?」と電話してきた。奴メすっかり私を私物化している。

9日(日)夕べ急遽約束が整って、セツ子さんと木畑亭にお昼を食べに行った。この突然のスケジュールというのは、とてもうまく事が運ぶのだ。
 日曜日で家にいるトオルに「オトーサンのことよろしくね」、と頼んで家を出たら、もう周りはバラ色。
 踏切で開くのを待っていて、ふと横を見たら、タクシーにセツ子さんが乗っていらしたので、そそくさと乗り込む。
 今日のメニューは和牛ステーキのコースに帆立のエスカルゴ風バター焼き。入れ歯で噛めないというセツ子さんの分も食べて、御馳走になったうえに、ワインまで頂いて恐縮しながら、ルンルン気分で帰宅したら、トオルと旦那は親密に会話が弾んでいる模様。
 みんなのために良い時間だったみたい。
 夕方になって激しい雨が東京に降った……そうな。でもこの辺は期待したようには降らず蒸し暑さだけが残った。
 今日旦那は溜まっているものを全部吐き出すように、止めどなく夜11時まで息子と話をしていた。

              

10日(月)つい昨日のこと、台風8号が西南のほうに大雨を降らせたと聞いたばかりなのに、今日は朝方からたたきつけるような雨足で、ごみを捨てに出るのも躊躇するほど。
 どうぞ出る時には止んで下さいな、と空に向ってつぶやくけれど、私の願いに逆らうように、ますます激しくなる。
 二日続きの台風9号だそうな。それでも天下に憚る晴れ女のわたくし、出かける直前に念力で空をからりと晴れ渡らせた。
 デイホームでは私が来ないんではないかと噂していたらしい。2階に上がったら嬉しい拍手の歓迎だった。
 1時間たっぷりと歌って、走るように帰ったら、もう看護師のKさんが、預けておいた鍵を開けて入ってくれていた。
 今日は熱が出なかったのだけれど、流石にシャワーを浴びるほどの元気はもうないらしく、体を拭いてもらって満足気だった。
 6時にカレイの煮付け1/4と高野豆腐、トマトサラダをお粥のおかずにして、2階の旦那に運んだところに、ノリコから「いま東京駅」、と電話。
 頼んだブルディガラのワインパンを買いに行ったら、売り切れだった、というので、すこしがっかり。
 ともさんにお贈りする約束をしたのに……。
 私は「なにか美味しいお弁当を買ってきて」、と頼んで、7時半まで待った。今夜のお弁当は、牛タン弁当。これ美味しかったけれど、野菜不足。作り置きのトマトサラダをしこたま食べた。

11日(火)今まで火曜日だった看護師さんを、月曜日に変えてもらって、火曜日が完全フリーの嬉しい日となった。
 ゴミの収集もないし、のんびりとした朝を迎える。台風の前の束の間の晴れ。
 最近のニュースがごちゃまぜに夢の中に出てくる。身動きならない満員電車の中で痴漢を目撃、捕まえたかと思うと、その裁判の裁判員席に座っていたり、大雨の中でがけ崩れにあって危うく下敷きになるかと思ったとたんに、、本当の揺れで目が覚めた。
 テレビをつけたら東海地方で震度6弱の地震があったらしい。
 まだこれから台風9号がやってくるというので、今日2時に約束していたミツコさんにメールを送り、時間を早めることにした。
 彼女が現れる1時より前に、ドンクに行って、トモさんとお約束したバケットを2本買い、食べやすい大きさに切って、昨日ノリコに買ってきてもらった東京駅のブルディガラのドイツパンと一緒に、郵便局から発送。
 明日のブランチに間に合うよう午前中の配達を頼む。最近は郵便局の配達が早くなって大助かり。 宅急便を頼みに行く店の奥さんに30分捕まらずに済む。
 ついでに昨日届いた白ゴマ油の代金も振り込み、ミツコさんとのティータイムのための葡萄のタルトをアンカフェで3個買って、1個をノリコに進呈。
 気まぐれ台風はどこに行ってしまったのか、カラッと晴れて蝉の声がかまびすしい。
 夕方病院から電話。可愛いお嬢さんの声で、「すみません、明日の往診時間のことですけれど、差し上げた紙に午前3時と書いてしまいました」
 「あらまあ、ほんと。でも午後3時だと思ってましたから」
 内心で、これで4日の処方箋の件とおあいこだわ、よかった!と、ほっとした。

12日(水)台風は東京を避けて通り過ぎて行ったようで、今日は穏やかに晴れ上がった。
 窓を開いたら太い横縞の雲が3本おおらかに横たわって、秋のプロムナードを思わせる風が渡って行った。
 旦那の部屋はずっとクーラーを26℃に設定して、つけっぱなしだけれど、気がつけば外には秋の気配がそこはかとなく漂って、門の脇のホトトギスが開き始めている。
 なんて気持のよい洗濯日和なのかしら、と思った期待を裏切らず、午前中にオトーチャンは猛烈な下痢。
 私にとっては桶狭間の戦いぐらいの大仕事。我ながら今川義元ばりの頑張りだった。頑張ったのは私より洗濯機だけど。
 午後になって先生の往診で、血液検査の結果を頂いた。ビリルビンが増えて、黄疸が出ている。
 先生は口癖のように、「何が起きても慌てないで」、と言ってくださるのが心強い。
 部屋の周りに飾ってある旦那が写した山の写真でひとしきり話が弾んだのは、先生の温かい配慮とみた。
 先生が日焼けをしているので、「どちらかにいらしたのですか?」と聞いたら、「いえいえ、これは往診焼け、忙しくてどこにもいかれません」「失礼しました」
 なんだか楽しくなってしまうような会話を残して、あたふたとお帰りになった。
 昨日からトオルの会社が夏休みで、旦那の話し相手に来てくれて、オトーサンはご機嫌。
 昨日は岡山から白桃が、今日は兄の手配で安曇野から赤い桃が送られてきた。これから毎日の楽しみ。
 1個たりとも腐らせないようにしなきゃ。

13日(木)今日はゴミを出した以外一歩も外に出ない。
 だから34度の高温だったなんて知らなかった。
 洗濯ものの乾きがいいので嬉しくなってしまう。朝のうちにノリコが昨日買ってきた山のような雑貨類を持ってきてくれる。
 これでおむつも、洗剤もトイレットペーパーも、ポカリスエットも当分買わなくて済む。
 お昼を下に降りて皆と一緒に食べたいと言っていた旦那は、起きたらめまいがしてとてもじゃないけれど降りられず、いなにわうどんのつけ麺を急遽2階に運び、私の分もお椀に入れて2階に移動して二人で食べた。
 ちょっと体力の限界が来ているみたい。私にとっても、今日はちょっぴり心臓がばくばくしそうなことがあった。
 午後にきた看護師のkさんが、帰りがけに下に降りてきて、「葬儀屋さんはもう手配してありますか?」と聞いたのだ。
 (おいおい、本人はまだ生きているのだぞ)現実が厳しいのは自覚しているけれど、それってあり?
 このところこういうデリカシーのない会話がしばしば交わされる。それに冷静に対応している自分がとても不思議。
 いずれにしても旦那の闘病生活で看護師さんに対する認識が変化している。
 あの人たちにしてみたら、「人間の死」なんて日常茶飯事なのだろう。だから「死に向かっている人」なんて言葉が平気で出せるのだ。
 でも病人のつれあいは、ここでくじけてはならない。もうひとりの自分が働いてくれている感じだ。
 今夜から寝る前の歯磨きが、洗面所に行くことなく、ベッドでされることになった。

14日(金)旦那が朝から度々下痢をして、後片付けに忙しい。3度目の大清掃の直後、先生の往診で、こちらは滑り込みセーフとほっとした。
 昨晩から看護師さんの言ったことに段々腹が立ってきて、ガス抜きが必要になった。
 ちょっと迷ったけれど、先生の帰りがけにとうとう葬儀屋さんの1件を話してしまう。
 A先生とアシスタントの若い先生の二人は、一瞬声を失ってうな垂れた。私は、「今後のことがあるので、直接には言わないでください」、と言わずもがなのアホみたいなことを言ってしまう。
 でもこれ全て旦那のため。
 お尻をまくって喧嘩したい気持ちを抑える。でもいつか爆発しそう!一旦ドアの外に出たアシスタントの先生が戻ってきて「今日も気温が高いから、奥様くれぐれも気を付けてくださいね、お疲れがでないように」と優しい言葉を掛けてくださった。
 お昼を旦那に食べさせて、子供たちにあとを頼んで、横浜駅までバルア・マサコさんに会いに行く。
 3年ぶりに会った彼女はまた少し痩せたみたい。厳しい状況のカトマンドゥでの学校経営でご苦労が多いとみた。
 あんみつを食べた後で、高島屋の屋上に上がり、ベンチでおしゃべりを1時間ほど。
 かねてから考えていたことだけれど、ネパールの山のケントスクールに行くこともできなくなったので、ネパール人に嫁いでミトラスクールを建てて頑張っているマサコさんに、ささやかな援助をさせていただくことを約束する。彼女のご主人は、ネパールの日本大使館に勤める素晴らしいかた。
古文書の研究にいそしんでいらっしゃるとか。
 時計とにらめっこで4時半に家に帰ったら、息子が「早かったね、もっとゆっくりしてくればいいのに」という。優しい気持ちが伝わってきた。

15日(土)今この世で一番元気なのはどうやら蝉。束の間の現世と知ってか知らずか、目いっぱいの自己主張をしている。
 今日午前中旦那は昏々と眠って起きる気配がない。11時になってやっと目覚めたので、一日のめりはりをつけるためブランチを運んだ。
 チーズのふわふわパンをかろうじて半個、エンシュアジュースで流し込んで、また寝てしまう。
 この2、3日で、だいぶ体力が低下したのは、下痢と発汗のためもあるみたい。
 一日に何度も汗でパジャマを取り換える必要が生じてきた。
 時々起きて、「幸せ!」「楽させてもらって悪い」「最後に家で死ねるなんて贅沢をさせてもらって、皆にお礼が言いたい」なんていう。昨日は息子に「お母さんが大変だから、病院にいこうかな」と言ったとか。「大丈夫よ、あなたが私たちに今までやってくれたお返しをしてるんだから」「そう思ってくれたら嬉しいよ」そのあとなんだかとても安心しているような顔をしていたのが、印象に残っている。
 この2か月半の間は、今までで一番家族の会話が弾んでいて、私たちも幸せ感を満喫している。
 外の人間関係でぎくしゃくしたり、ショックを与えられたりしながらも、入院していたら得られなかったよい時間を与えられたことに心底感謝している。
 
16日(日)朝夕の風が少し爽やかに感じられるようになった。夏がいくら頑張っても、暦には勝てないということか。
 寝室は旦那のためにずっと26℃を保っているけれど、窓を開けたら爽やかな空気の流れが、ほてった体を優しくいたわるように通り過ぎてゆく。
 このところ我が家の周りにはいじわる神様が潜んでいるらしい。この間からのこんがらがった人間関係にうんざりしているところに追い打ちを掛けるように、今日は寝室の旦那のベッドの上の、買ったばかりのクーラーから、水が逆流してきた。
 まだ壊れていない、前のクーラーが少々音が大きくなったので、旦那が買い替えると言って、流石新しい機種はいいわ。と褒めたばっかりなのに。
 電話をかけて病室なので、と事情を話したら、すぐにY電機からの手配で修理に来てくれた。
 その辺りは、意地わる神様もちょっぴり手加減してくれたみたい。修理屋さんの青年は、手際もマナーも100点!

                       

17日(月)朝から旦那の具合がよくない。食事もとれずずっと眠っている。時々顔をしかめるので、どこかが痛い模様。
 散々迷ったけれど、行っても良いというので、思い切ってデイホームに向かったところ、途中で留守を頼んだノリコから電話が入り、オトーサンが息苦しいと言ってお母さんを呼んでる、という。
 慌ててデイホームの玄関先でお詫びを言って戻った。
 病院と看護師センターに電話を入れるようノリコに頼んだので、看護師のヤタベさんがすぐに来て下さった。
 血圧が88に下がっているのと熱で、体がぐしゃぐしゃ状態。体中の水分が抜けてしまうような発汗だった。
 夏休み中の先生からの指示で、ボルタレンの座薬を使用。暫くして落ち着いて、やれやれとほっとする。
 このさき月曜日にこういうことが起きたらどうしよう、と気が滅入った。
 夕方になってヒライさんとユイさんが来て下さり、その頃には旦那もお二人の顔を見て、両手に花と、嬉しそうに笑うほどに回復した。
 今週から看護師さんが変わることになって、先日来の悩みは解消できそう。
 つくづく思うことだけれど、患者のメンタルケアのできない人には、看護師の資格を与えてはいけない。
 先週はデイホームの所長さん、今週はナースステーションの所長さんの頭を下げさせてしまい、いじめられた気分だったけれど、私って案外いじめっ子をやってしまったのかも。
 今日は2件の送金。ひとつはバルアさんにお約束した学校への寄付。日本人で、厳しい環境の中で、くじけない彼女には、どんなささやかなことでも応援したい、と思う。
 もう一つはもう何十年も続けていた水子供養(私には流産した子が一人いる)のお寺から、新しいお位牌が送られてきてこれは1年の御利益つき。
 今年は旦那のことでいっぱいで、そろそろ失礼しようかしらと、送金をしなかったら、一方的にお位牌が送られてきた。
 中を開けたら、新しい紙のお位牌と印刷物で、それには、折り返し4000円と切手代80円を送るように、と指示が書いてあった。お寺も不景気らしい。でもちょっと嫌な感じだな。

18日(火)油蝉という名の由来が納得できるような、じわ〜っと地面に沁みとおる熱した油を思わせる蝉の声が途絶えず、今日もヘビーな夏の昼間。
 辺りに人の気配すらないのは、どうやら世の中全部がシエスタにはいっているらしい。ご多分に漏れず旦那ちゃんもしっかりと昼寝タイム。
 もっとも彼の場合は朝寝、昼寝、夜寝と続いているのだけれど。
 昨日に続いて、看護師のヤタベさんが来て下さる。旦那の口からふと「やさしい先生!」とつぶやきが聞こえた。
 この一言で、先日来の私の処置が間違っていなかったことを確信。今の私はどんな障害からも旦那を守る義務がある。
 今回の2件のトラブルで、何事も泣き寝入りがいいとは言えないことを学ばせていただいた。
 午後になってヤスコさんが久々のご到来。中野のお菓子屋さんの大好物の栗のお菓子を頂いて、旦那は喜んで半分食べた。
 洗濯ものを入れるビニールの籠に、2人分の食事を入れて、2階に運ぶことにもだいぶ慣れて、調子がいい。

19日(水)新聞のコラムを読んでいたら、今年は夏らしい夏が来ないうちに…という言葉があって、おや?そうだったの?と改めて1ケ月を振り返ってみた。
 でもどう考えても、日本の夏らしいむしむしとした高温に悩まされ続けていたとしか思えない。
 この記事を書いた人はよっぽど暑さが好きなのね。
 どうやら自律神経が狂ってしまった旦那は、大汗をかいたと思うと、寒いと言ったり、私はとてもじゃないけれど、彼の体感温度の変化についてゆけない。
 それにしても雑草の伸びの速いこと。ずっと前のことだけれど、草むしりをしているところにやってきた植木屋さんの言ったこと、
 「奥さんよしなよ、抜いてる<けつ>から生えてくるんだから」が思い出されて、ちょっと手を出しはじめても蚊の大群の総攻撃を受けて、すぐに家の中に退避してしまう。
 お蔭で、1ケ月以上咲き続けていた気まぐれ訪問者のアザミは、1本の茎から咲いた100以上の花が綿毛になって、風の強い午後、ふわりふわりと楽しそうに空中遊泳を続けている。
 この子はどこから来たのか知らないけれど、この調子では来年の夏はそこいらじゅうにアザミが根付いて花を開くことだろう。
 来年はご近所の探訪で、行く先をしっかと見届けようと思っている。

20日(木)朝方4時に旦那に起こされて、午前中使い物にならない。
 会社に出かける前に入ってきた息子が、魔法瓶を蹴とばして大きな音をたてて、やっと目覚めた。
 こいつめは私のDNAをたっぷりと受けて、かなりなおっちょこちょいなのだ。今日の午前中は徹底的にさぼることにきめて、ベッドに転がっていたら、やたらと電話が鳴る。
 大事な電話だといけないと思って出ると、「○○党の××をよろしく」だとか、「△△銀行で今度こちらの担当になりましたが、ご用ありませんか?」とか、チャイムが鳴って出れば牛乳やさんの売り込みだったりとか、どうでもいいことに振り回されて休む暇も与えられない。
 世間の人は働き者ねえ。
 今日は秋の風が吹いて気持ちがいいので、クーラーを止めてみる。たちまちにして、部屋の中は熱気にあふれた。
 まだまだ秋は思わせぶり。
 午後から看護師さんが2人来て下さり、全体重をベッドに落としてしまった旦那を動かすのに、難儀していたので、ほっとする。
 昨日から旦那はほとんど眠って暮らすようになった。時々起きて無理無体なことをいう。
 適当に返事をすると、「ちゃんと聞け」、とそういうところだけはしっかりしている。
 昨日お友達の鎌倉のカズコさんが、病院に行く前に途中下車して寄ってくださり、2年ぶりの再会を果たして嬉しかったけれど、旦那は眠りっぱなしでお目にかかれない。
 頂いた「われもこうと桔梗」の花を玄関に飾ったら、そこだけが秋の気配。

21日(金)今朝からツクツクボウシが鳴き始めた。ミンミン蝉と油蝉のデュエットに仲間入りしたかたちだけれども、この3種類の異質な性格は、トリオを組んできれいなハーモニーを聴かせようなんて気はさらさらないらしい。
 不協和音がやたらとうるさいだけ。門前の電信柱にしがみついて、体中の力を振り絞っているような鳴き声が、
癇に障る。
 ふと気がついたことだけれど、蝉が主役になる季節、カラスはひっそりと影すらみせないのは、春の大舞台の出番での目的を無事に果たして、今頃は山で「七つの子」の世話に余念がないのかしら?
 このところ一歩も家から出ないで、旦那ちゃんの様子を見ているのに、今日ちょっと場を外した10分ほどの間にベッドから降りて動けなくなっていた。私一人の力ではどうしようもない。さてさて、どうしたものかと、ノリコの家を覗いたら、ラッキーなことに旦那さまがご在宅だ。
 早速助っ人を頼みにに走って、持ちあげてもらって、大助かり。
 やっぱり男はすごい!と再認識。私がやったらめりめりと腰が砕けたかも。
 今日の訪問は、A先生の往診と旦那が好きなヒライさん。和菓子の「おちょぼ」を、これなら食べられるでしょ、と持ってきてくださったので、私が早速お相伴で先に頂いてしまった。
 A先生は相変わらずとても丁寧な診察だったけど、処方箋を見たら2週間前の日付になって居たので、早速病院に訂正をお願いする。

22日(土)テレビを見ていたら、リポーターだかアナウンサーだかが、「おとうさん」、と呼びかけているのが聞こえた。
 続いて「それではおかあさんは?」と、なにがしかの意見を求めている。わたし、他人に対するこの呼びかけが、好きでない。
 病院でもかなり年かさのいった看護師さんが私たちを、「おとうさん、おかあさん」、と呼ぶたびに、内心むっとしたものだ。
 あなたの親じゃないのよ、といいたいところ。
 こういう些細でいてとても大きい部分の教育が欠落しているのが、今の世の中。これは文部省に科学省がくっついた挙句の悪影響かしら、と考えが飛躍する。
 ちなみに私の行っているデイホームでは、きちんと、(時には)ファーストネームで呼んでいるし、今回お世話になることになった介護の会社のひとも、旦那のファーストネームで呼んで下さる。
 とにかく人は人らしく最後まで、と、がんばっているのが目下の我が家の現況だ。
 今日は土曜日で皆がいるので、5週間ぶりに午後美容院の予約を取った。早く人並みにきれいになりたい一心で……。
 外から帰って、眠っている旦那ちゃんの顔を見ながら、氷を入れた湯のみで水を一口飲んだら、氷が触れ合って「シのフラット」の音が出た。もう一口飲んで、「ド」、さらに一口で「レ」、面白くなって思わず水を飲みすぎた。これって、病みつきになりそう。
 夜になって花火の音。そういえば今日は多摩川の花火だった。
 急いで東急ケーブルテレビをつけて、1時間のいながらにしての花火見物。まさに花火…というよりいっそ「華火」と言いたいような、華麗なショーを堪能した。

23日(日)毎日が日曜日のくせに、カレンダーの赤い字をみると、なんだかリラックス気分になる。
 今日も結構なお暑さで、クーラーを止めると、じわ〜っと汗がにじみ出てくるような、あまり歓迎すべからぬ空。
 午後になって隣の息子の所に、アルティさんとお兄さんの一家4人がご訪問。夏休みを利用してのイタリアからの大移動だ。
 木畑亭に食事に行く前のひとときを立ち寄られたので、とっさに、奥様に佐賀錦のお財布をプレゼント。
 暫くぶりに出まかせイングリッシュで、日伊親善大使を努めようと思ったのに、敵はイタリア語しか話さないという。
 でも、アルティさんの通訳で、結構楽しいひと時を過ごした。一緒に食事に行きたいと思ったけれど、オトーちゃんを置いて行くわけにもいくまいて。近くの氏神様まで一緒に行って、怪しげなジャパニーズセレモニーを伝授。
 神前に置いてある鈴で神様を呼びだすのだと教えたら、一斉に4つの鈴が大音響で鳴り響いた。
 これはお正月に初詣に行った時に隣にいた人が子供に教えていたことの受け売り。
 横の社務所の人が聞いていたら、呆れたかもしれない。
 旦那は今日一日でまたレベルダウン。一日中朦朧と眠っている。
 そろそろ次の段階の心づもりをしなければ、と子供たちと話し合う。お使いに出にくいので、お昼は肉まん1個。
 夜はノリコが買ってきてくれたオーガニックの健康的なお弁当だったけれど、これまずかった。

                                

24日(月)明日が見えない茫漠とした毎日だけれど、今日は何が何でもデイホームに歌いに行こう、と決心。
 気持ちをくんで、息子が午後休みをとって会社から戻ってきてくれた。
 先週は入口から戻ってきてしまったので、本当に申し訳ないことだった。今日は2階に上がったら、皆様が拍手で迎えてくださって、ああ、やっぱり来てよかった、としみじみ思う。
 それにしても今日は我ながらピアノのミスタッチが多いこと!
 1時より前に息子が戻ってきてくれたので、ゆったりとした気持ちで出かけていくことができたのは嬉しかった。
 少し早めに切り上げようと思っていたけれど、皆様お元気で、「まだまだ」、とおっしゃり、約束より遅れて3時前に走るように帰ったら、看護師のヤタベさんはもう帰った後だったけれど、夕方にもう一度戻ってきてくださって、病院と連絡、酸素ボンベが取り付けられた。
 脈は速くなったり、ゆっくりになったりと、わがまま放題。
 夕方ものすごい雷雨になった中を、息子はもう一度会議のために都心の会社に戻って行った。
 もう自分のために台所で働く気が失せて、ノリコの仕事帰りを狙ってメール。品川駅の駅中のツバメグリルのご飯を買ってきてもらった。
 このお弁当生活が病みつきになりそう。おかげで週2回配達されるお豆腐が冷蔵庫に4つも溜まってしまった。

25日(火)最近無性に食べたいのがウインナシュニッツェル。でもこの近くでは思い通りの肉は手に入らないと思って、じっと我慢の子でいると、思いがますます募ってくる。
 若い頃は食べたいと思うと、手間をいとわずにすぐに取り掛かったものだけれど、台所の後始末のことを考えると、なにもやる気が失せてしまう。
 そこで今日はミノにおねだりをして、夜のご飯を買ってきてもらうことにした。
 細かく区分けされたお弁当には、いろいろなおかずが詰まっていて、うはうはと喜んで食べた。
 いつになったら、この生活の立て直しができるのかしら。
 今日は息子が会社を休んで、この間からの課題の証券会社と銀行に行ってくれた。面倒なことが終わってほっとする。
 旦那はそんなことができなくてどうする、と怒るけれど、今までにそういう教育ができていないで、急にやれったって無理ですよぅ。
 旦那ちゃんは相変わらず時々氷を口に入れて、あとはしっかりと寝ているけれど、夕方ヒライさんが来て下さって、ちょっと嬉しそうだった。

26日(水)家の中にやたらと小さな蜘蛛が出没していや。よく朝の蜘蛛は幸せを、夜のは不幸をもたらすという言い伝えがあって、朝のはそっと逃がしてやっていたけれど、毎日のこととなると情け容赦もなくつぶそうと思うようになった。
 でも、その逃げ足の速いこと。ゴキブリは家じゅうに置いてある薬で、最近とんと姿を見せず、たまに見かける時は、もう精根尽きはてましたわいな、と言った感じなので、ごきぶりを見てきゃ〜なんて声を出すほど可愛い奥さんでない私は、ひょいとつまみあげてゴミ箱に放り込むだけ。
 目下私は蜘蛛との持久戦に総力を注いでいる。
 この一日二日、蝉の声が少し静かになって、秋はこっそりと門口まで顔を覗かせているみたい。
今日の往診で「今日、明日でしょう」との宣告を受けた。

27日(木)夜じゅう旦那の息遣いを聞きながら、うつらうつらと夢の中をさまよい、ふと目覚めてカーテンの隙間から覗いたら、うっすらと空が白んで、夜明けが間近だった。
 100メートルほど離れた8階建のマンションの白い壁が、だんだんと恥じらうように赤みを帯びてきて、虹の両端を持ってぴんと引っ張ったような雲が、グラデーションに輝いてきた。本日も晴天なり。
 こんなに明るい晴れやかな朝は、今の旦那には似合わないな、と思いつつ、えいやっとカーテンを開いたら、いつの間にか秋の虫が鳴き出す季節になっているのに気がついた。
 昨夜酸素ボンベの音と思っていたのは、半分は秋の虫のコーラスだったのか、それともミミズのたわごと?
 午前中に看護師のヤタベさんが絡んだ痰の吸引をしてくださったけれど、病院でほかの患者さんがやっているのをかいまみて居た時、余りにも辛そうな様子だったことを思い出して、その場から逃げ出したかった。
 でも、私だったら、と考えたときに、こういう場合あまり余計な話しかけはしてほしくないな、と思い、黙って手だけ握っていた。
 午後になって久しぶりに自由が丘に買い物に出て、ブックオフで文庫本を5冊買い、そのほかに思いつくものをあれこれと買って帰ったら、リュウイチ兄が腰越の干物を陣中見舞いに、と言って来訪。 そのうちに、さっき大阪から帰ったというヨーコおばちゃんが夫婦で大阪土産のあれこれをもって現れた。
 彼女もお父様の四十九日忌が近く、大阪と行ったり来たりと、何かと大変ななかを来てくれて、有難く思う。
 このところ家族全員も在宅で、千客万来。旦那一人がかわいそうな状態だけれど、どうしようもなくただ見守るだけ。

28日(金)つい30分前まで確かに存在していた旦那は、午前3時一人で旅立った。
 2時過ぎまでそばについて、少し浅い息を聞いていたけれど、手首ではもう脈は触れなかった。
 太い動脈を触ってみたら、確実に72の脈拍があったので、すこし横になろうと思い、うとうとした間のことだった。3時ちょっと前、あたりがし〜んとした気配に気づき、触ってみたらもう息をしていない。
 それでも体はほかほかと温かかったので、一瞬のことだったらしい。
 夜中のこととて一瞬躊躇したけれど、病院に電話。30分後院長先生が昼間と同じ表情で来て下さった。テレビドラマで見るような情景を想像したけれど、聴診器をあてて、「あ、確かに亡くなっていらっしゃいます」、と簡潔明瞭。
 入れ違いに看護師のヤタベさんが、妊娠中とは思えない身軽さで、スノボーを乗っけるワンボックスカーで来て下さり、1時間かけて心をこめてすっかり旅支度を整えてくださった。
 「3時に起きてしまったのは、きっと呼ばれたのだわ」、と温かみのある冷静な言葉だった。
 それにしても今日一日のなんと長かったこと!考えたらこの3日間ほとんど寝ていないことに気がついた。
 でも事務的なことなどは息子がてきぱきと進めてくれるので、私はなんだかぼんやりとして、思いついて連絡の電話をかけたりして時を過ごす。
 時々白布をめくって惚れ惚れと旦那の顔をみて、結婚以来最高のきれいな顔!と思った。
 もう私の言うことを無視したり、怒ったりできなくなったわよね、と呟いたりする。
 驚いたことに葬儀場が満員だそうで、5日待ちとなった。来月に入ってから、花葬儀にすることになって、明日は冷蔵の霊安室にはいって頂く。今日は早寝をすることにしたけれど、眠れるかしら。
 夜食べた宅配ピザが胃に重たい。

29日
(土)昨夜は久しぶりにゆっくり寝ようと思ったのに、安定剤を飲んでも2時間でぱっちり目が覚めてしまう。
 ついさっきまで隣にいた旦那の、寝息が聞こえるような気がするけれど、ベッドはもぬけの殻で、現実が把握できない。
 夜明けまで何度もトライしながら結局ゆうべも眠れなかった。
 朝から弔電、電話、ご弔問と、席の温まる時も得られなかったけれど、不思議なことに疲れを感じなかった。
 普段会えなかった旦那の姉、子どもたちの従妹とも旧交を温められたり、旦那の親しいお友達も来て下さったりで、これは賑やかなことの好きな私のために、夫が糸を引いてくれているような気がした。
 ご本人は素知らぬ顔で、リビングの床に敷かれたお布団の中で、のんびりと寝ている。私だけに忙しい思いをさせて……。
 夜8時納棺。家族で桐ケ谷の斎場に旦那ちゃまを送って行ったら、お通夜の終わったたくさんの黒い集団があちこちの部屋から出てくるのにぶつかった。私たちはピンクのシャツ、ゴールドのサンダル履き、素足にペディキュアと不謹慎も甚だしい。
 旦那はこれから3日間、金属製の冷たいカプセルホテルでひとり暮らし。淋しくないかしら?電気をつけてあげたい。

30日(日)旦那のいなくなった部屋がなんだか広々と感じられるのは、やっぱり存在の大きい人だったのだ。
 主人公が居ないので、訪問客もなく、時々弔電の配達人と、お悔やみの電話が掛かってくるだけで、久々にゆとりの時間が生まれた。
 午後になって、お料理屋さんと葬儀社の人が打ち合わせに来て、それは若い人たちに任せて、夕方までのんびりと過ごし、夕暮れになってから皆で衆議院選の投票所に行く。
 台風が近づいていて、時折激しく降る中を、駅前の中華料理屋に食事に行き、9時近くなって帰宅、寝るまで開票速報を見ていた。今回は民主党の圧勝になりそう。
 民主党の鳩山さんと「猿岩石」の有吉くんとは目がとても似ている。性格も似ているに違いない。
 この2、3日食べすぎて、疲れと一緒で胃がもたれてきはじめた。

31日(月)台風……(あら、何号かしら?)が来て雨が強く降る。このところ新聞もテレビも見ないで過ごしていて、台風が来ているなんて全く知らなかった。
 本当なら今夜がお通夜のはずだったのに、いっぱいで取れなかったのが幸いして、おとーさんてなんてラッキーなの?と思う。
 台風の夜にお通夜なんてあったら、私だったら失礼してしまいそう。
 私もラッキーなことに、今日が空いたのでスケジュールどおりデイホームに行ったけれど、流石に今日の声はいただけまへんわ。
 途中で声が枯れてしまい、気を利かしたスタッフがお茶を持ってきてくださる。
高齢者の利用者さんの手前、お互いにその話題には触れなかったけれど、皆様目でお悔やみを言って下さるのが嬉しかった。
所長さんの「こんな時にすみません、でも皆様がお待ちになっているので…」の一言で、行ってよかったと思った。
 夕方レンタルの介護ベッドを引き取りに来て、部屋ががらんとしてしまい、この空虚感はなんなんだろう、とあらわになった床を撫でてみる。
 おととい追い詰めて薬をかけたゴキブリが、ベッドをどけた跡に転がっていた。
 まだまだ私の心には、ぴんと糸が張られていて、疲れを感じるゆとりもない。この緊張感から早く自由になりたいと、ちょっぴり思う。



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